大震災②

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大震災②

ジェイ・エス・エス代表

阪神淡路大震災は未曽有の震災でしたが、その16年後
東日本大震災はそれを超える苛烈な被害が出ました。

前回のコラムにて(こちらを参照ください)仙台で阪神淡路大震災を知った私でしたが
東日本大震災では・・・なんとやはり仙台に出張中でした。

忘れもしない午後2時46分! 仕事を終えて2時44分仙台発東京行きの新幹線で被災しました。

新幹線って発車すると「すぅーういーーーーん」と独特の電気感で加速していくじゃないですか。
その加速が突然急ブレーキで減速していったのです。

減速の途中でものすごい揺れに襲われました。

その5、6年前のJR福知山線脱線事故の記憶が蘇り(こちらは私と身近な方は体験しておりません)
「あー、脱線した!」と直感しました。
まもなく新幹線は停車しましたが、停車してもものすごい揺れは続いています。
ここで初めて気づきます。

「地震だ!」

よく立っていられない激震といいますが、私は座っていられませんでした。
それほどすごい揺れです。

後で気づいたのですが、減速したのは制御システムが地震を検知して自動ブレーキがかかったのです。
走り続けていたら脱線していたかもしれません。

停車したのはちょうど広瀬川(ほら佐藤宗幸の)の上の橋のところでした。
右手に高層マンションが建っていたのですが、ふと目をやるとみるみる壁に亀裂が入っていきました。

脱線は免れたもののこの建物が倒壊したらこれはダメだなと妙に冷静だったのを覚えています。

そのうち衝撃の揺れはいったん収まり、新幹線は停車したまんまの状態です。

何らかのアナウンスが流れたのは覚えていますが、確か
「状況を確認しています。決して扉を開いて外にでないでください」といった内容でした。

当時は携帯電話、折り畳みのガラケーです。スマートフォンはまだ持っていませんでした。

もちろん持っていてもがプリ!なんてなかった時代です。LINEだってありません。

情報はほとんど入らない中(もちろん津波がきたなんて知る由もありません)
「これだけ揺れだから絶対ここが震源地だ。家族も心配しているだろうから連絡しなくちゃ」
と携帯から電話をかけました。

通じるわけありませんよね。

さてさてどうしたものか、そのうち動き出すかな? 新幹線。
窓の外には小雪が舞っていました。

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