大震災④

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大震災④

ジェイ・エス・エス代表

激震(烈震)の翌日、3/12のことでした。新幹線の車中で被災した私たちは仙台市武道館で一夜を明かして、快晴の空の下、落ち着かない時間を過ごしていました。
JR東日本の職員の方がついていてくれるのですが、もちろん食糧や電気が伴う訳ではなく飲み水にも困る寒い日でした。

総勢で100名はいたでしょうか。電気が止まっているので満足な情報が入ってきません。
せいぜいJRの方に本社の情報を又聞きするくらいです。

とりあえず身の危険は感じないのですが、たびたびの余震と公衆電話の長蛇の列が不安感を増長します。
中にはJRの職員に「いつになったら新幹線は動くんだ!」と詰め寄っている方もいました。

私たちのグループ(こんな時でも人はグループをつくるのですね)では「あれだけの地震で近日中に動くわけないだろ、一か月は動かないよ」と誰にでもなく悪態をついています。

さてわが身のことです。仙台に出張していることを知っている家族にまずは無事を伝えようと電話したところ、大学生の長男が「こっちは大丈夫だよ」と電話口で第一声です。

何を言ってるんだ?大丈夫じゃないのはこっちだ・・・といら立ちも隠せなかったのですが、後に東京も大変な揺れで被害が出たり、帰宅困難者が大量に発生したことを知り、恥ずかしくなりました。

いよいよどうやって帰るか、真剣に考え始めたのです。
まず新幹線は当面動かない、車で迎えにくるにしても大渋滞の上、ガソリンの枯渇で二次遭難になりそうです。

公共交通機関は全滅、後に仙台空港が津波の被害を受けたことも知りました。
レンタカーは当然ありません。

一番近い山形に移動して日本海側から新潟に抜けて、東京にかえるプランですが冬の山道で
数十キロを歩くのは自殺行為です。

そうだ!オレはバイクの免許を持ってる!バイクを買って乗って帰ろう。ナイスアイディア!

意気揚々とバイクを探しに仙台の街に出かけました。

見つけた!

・・・バイクショップは地震で窓ガラスが割れ、店のバイクはすべて倒れていました。

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